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近所の奥さんに手押しポンプを据付けて欲しいと頼まれていたのです。
私と左官と施主の都合が合ったので、朝現地に集合して打ち合わせ 私はダンプで井側を取りにコンクリート2次製品の工場へ行く、その間に左官は 古い井戸の上側を整地しといてもらう、1時間ほどで帰ってみると準備は整ってる 5mのパイプで3脚を組んでチェンブロックで井側を井戸の上につり下ろす 午前中で一番の大仕事は片付いた。 ![]() 昼からは井側の蓋のコンクリートに吸い上げパイプを通す穴を開け、パイプを セットして蓋をのせる。 井側の上でポンプを組み立てて完了、夕方の4時過ぎには無事水も上がった。 思いのほか水の勢いもよくて奥さんの嬉しそうな顔、この後ジャスミンティーを 頂きました。 ![]() 1889年のパリ万博を記念して建てられた、エッフェル塔、高さは300メーター 強度よりも美を追求して建てられたようなタワーだ、120年前に万博に行った 日本代表もさぞ度肝を抜かれた事だろうと思う、今見ても充分感激できる。 パリの都市計画の素晴らしさは、未だにエッフェル塔はパリのシンボル的扱い、 とおくに凱旋門を望み、大人の街を感じさせる。 東京タワー、1958年に放送用の電波等として建てられた、予算もあって 絞りぬかれた構造計算、それなりに感心する。 高さは333メーターあって、これだけは勝っている、建った当時はどこからも 一望できて東京のシンボルだったけど、今は高層ビルの間に辛うじて見える。 ![]() どちらも素晴らしい構造物です。 ![]() 別にもう一軒進行してました建物です。 隠居というには若いのですが、今住んでる店舗付き住宅を息子に任せて ここに住もうというわけです。 ![]() 6帖の寝室に、10帖の居間,4帖ほどのDKです、一人で住には丁度良い。 杉板の壁ですが、結構コントラストがキツイですね、焼けるともう少しおとなしく なります。 ![]() バルコニーの下には田んぼが広がり、海が近い丘の上では風が止みません きっとクーラー不要の夜が過ごせるでしょう。 家は暑い夏にいかに涼しいか、それが勝負です。 ![]()
建ってた時は大きく感じたけど、狭いものです。
誰の住まないのに焼け焦げたままの惨めな姿をさらしていましたが 綺麗に片付いてホッとしました。 ![]() 土手の裏は川です、川向の家がガードレールと共に見えています。 後は成り行きです、欲しい人がいれば売るのもよし ひょっとすると子孫が家を建てるかもしれない なんとかなるでしょう。
あと少しのところまできてます、結構てこずってるみたいで気の毒です。
今日は日曜日なので、仕事はお休みです。もう2,3日で更地になります。 ![]() 最後のブロックの部分は住宅でした、窓が少なくて湿気が多くて決して 住みやすい家じゃなかったです。 住むならせっかく裏に川があるのだから、家と川の間に空間が欲しい(昔に家 にはあったのです) 前半部で商売してましたからゆとりが無い建て方でした。
去年の夏、まだ私が千葉の病院に入院してて退院間近のある日の夕方でした。
katsuさんとその友達2人と私を入れて4人で、焼きハマグリの美味しい店に入る 直前に従兄弟から携帯に呼び出しがあった、珍しいなと思って出てみると、消防 団として出動してて実家の隣から出火して燃え移ろうとしてるので、窓を破って良 いかと確認の電話だった。 高齢化した両親はホームに入っていたので無事なのですが、東京と九州では どうしようもない、私は美味しい焼き蛤をいただきました。 外から見るとそんなに痛んでないように見えますが、中は水を撒かれているので グチャグチャ状態です。 ![]() 私が小学校の時の大水害の後に建て替えて、継ぎ足し増築でどうしようもない 間取りでした。 私はこの家に正味6年間住んだくらいで、働き出してからは殆ど県外で、帰って からは杵築が殆どでした。 ![]() 自分がまだこの世界に繋がりがあるうちに更地にしとけば、この後、奥方でも何 とかできるでしょう。
一番上が杉で下は松です、巾10~8センチに割き落としてもらいました。
杉板の分は、別府のビルの5階で屋外のテラスにテーブルとして置こうかな と思ってます。 チョットした屋上ガーデンです、くつろげる場にしたい。 この月末に一人では広い4階と3人では狭い5階が入れ替わってから本格的に 作り始めよう。 ![]() ![]() 友達の実家のお母さんが車椅子生活になったそうで、家から車庫まで 移動が大変とのことで、スロープ工事をしました。 まずは外部の土木工事、下地を均して枠を入れコンクリートを流し込んで 左官が綺麗に押さえて出来上がり、まずは一丁上がり次は家の中です。 ここのお母さんは88歳、体は車椅子ですが、多趣味で絵や俳句などやっ てるのでしょう、ベッドの周りには道具がイッパイで元気です。 ![]() 玄関のほんの少しの段差も車椅子には強敵です。 古いタイルを剥がして下地を作り、新しくタイルを張りました。 後は玄関のみ、来週には出来上がります。 ![]()
今日は帰りの飛行機の午後3時過ぎまではフリーです。
とりあえず上野へ、今更動物園も無いだろう、で、ずっと渋く旧岩崎邸へ行ってみる。 いわずと知れた三菱の創始者一族の館、初代は土佐から出てきて坂本竜馬の 商売の後を引き継いで成功した人。 この建物は明治29年完成だから、初代は生きて見ることが出来たのだろうか。 設計はイギリス人のジョサイア、コンドル氏。木造の洋館作りです。 ![]() 2階のバルコニーからは庭が見渡せる、明治の西洋に追いつけ、追い越せの 息吹が感じられる、鹿鳴館時代です。コンドル氏は日本画、日本舞踊と日本に惚れこみ、 日本舞踊の稽古に行った折、後の婦人と出会い結婚している。大正9年に亡くなるまで日本に 住み続け、多くの建築家を育てた。 ![]() 当時としては最先端のトイレでしょう、奥には洋風便器が鎮座している。 ![]() 洋風の建物に和風の建物が連なって建ててある、廊下を渡れば落ち着いた座敷が 現われる、コテコテの後にはヤッパリお茶漬けです。 お寺を思わせるほど深い軒に縁側です、お茶にお菓子でくつろげます。(有料ですよ) ![]() 広い庭にはタンポポが咲き始めている、もうしばらくすると満開になるとか 説明する係りのオジサンもオバサンには丁寧に教えていた。ひがんでなんかいません おこぼれ的に横で聞いてるだけで充分満足してます。 ![]() ベンチも置いてあって、老夫婦が座っていた。(向こうから見たら同じような者同士か) 座ってる空間に年輪を感じます、横の大木も見事でした。 ![]() この後、不忍池を通ってアメ横に行きましたが、あまりの人手の迫力に写真撮り忘れました。
一度は行ってみたかった、彦根城です。
東京から京都までの切符を買って新幹線に乗り、名古屋まで来ると次に停まる駅を アナウンスし始めた。岐阜、米原、京都に停まると言う、名古屋から隣に座った兄ちゃんに 米原から彦根は近いか聞いてみると、隣の駅だと言う、京都まで行ってから彦根に行こうと 思っていたので、切符は無駄になるかもしれないけど途中下車した。丁度12時だった。 駅前の食堂でチャンポンを頂く、旨かった。 ![]() 駅から彦根城は目の前に見える、距離にして一キロほどで城に着いた。 堀を渡って場内に入る、入場料は500円だったような。 ![]() この彦根城は江戸時代に建てられたので、戦争の記録はない、数キロ北にある小谷城の ほうが浅井氏滅亡の激戦地で有名だ、姉川は城の眼下にある歴史上の聞いた事のある 地域が目白押しだ。 ![]() 坂を登っていくと一度橋の下をくぐってから右側に回りこんで石垣の上の門に辿り着く、 成る程これなら攻められても守り易い。 その城門の下の大きな梁、この門が破られてもすぐ裏には石垣があってその上の城壁 から狙い撃たれる。攻める方もタイヘンダ。 ![]() お城自体はこじんまりとしていて、太平の世になった江戸時代にあっては無用の物だった らしく殆ど使われなかったらしい。 ![]() それでも江戸時代のままの城が残っているのは珍しくて、熊本、姫路、松本に彦根城 くらいでしょうか、小さいとはいえ木組みはシッカリしてます。 瓦などの重さを支えるために、跳ね木として大きな丸太が使われています。 ![]() これは城門の木組み、比べると木の大きさがまるで違います。 ![]() これは天守閣の壁、曲がった木もそれなりに使ってます。反発が強いので荷は真っすぐ な木よりもより支えます。 ![]() 城下町を走る、レトロなボンネットバス雰囲気出してます。 ![]() 彦根駅前にある、井伊直正の銅像、徳川四大老の一人で井伊の赤縅で有名 常に戦闘の先陣を切り、赤い鎧甲冑で身を固めた軍勢は敵の脅威でした。 ![]() 徳川幕府の終焉も井伊直弼が安政の大獄、桜田門外の変で終止符を打ったようなもの 徳川と共に歩んだ井伊家、彦根の人にとっては良き殿様だったのでしょう。 # by sk-aiwak | 2009-04-11 19:27
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